出典:YouTube
「ジャズ」という言葉がもはや意味を失い、あらゆるジャンルを横断する音楽が当たり前になった2000年代以降。その中でも、日本の音楽シーンにおいて唯一無二の存在感を放つのが、菊地成孔と彼のプロジェクト“ペペ・トルメント・アスカラール”です。
『New York Hell Sonic Ballet』は、2009年にリリースされた、アヴァンギャルド、ラテン、ジャズ、クラシック、エレクトロニカ、映画音楽的要素を大胆にミックスした意欲作であり、同時に「菊地成孔の美学」をもっとも濃密に味わえるアルバムともいえます。
艶やかで妖艶、そしてどこか退廃的。しかし、同時に計算され尽くされた構成と、美しく劇的な音楽性を持つ。本作は「難解」と言われる一方、実は非常に刺激的で、音楽好きの知的好奇心を満たすアルバムでもあります。
- アーティストについて
- アルバムの特徴・個性
- 『New York Hell Sonic Ballet』全曲レビュー
- こんな人におすすめ!
- 同じ系統の楽曲・アルバム5選
- この記事で紹介したアルバム
- まとめ
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アーティストについて
菊地成孔は、日本のジャズシーンやクラブミュージックシーンを横断しながら、音楽家・作家・批評家として幅広く活動しているアーティストです。ジャズサックス奏者としての確かな技術を持ちながら、ハウス、ラテン、ファンク、クラシックから映画音楽まで、異なるジャンルを積極的に取り込み、独自の美学で再構築してきました。
ペペ・トルメント・アスカラール(Pepe Tormento Azcarar)は、菊地の主宰するビッグ・アンサンブル形態のプロジェクトで、複雑なアレンジ、難易度の高い演奏、ゴージャスで官能的な音の構築が特徴です。菊地の作品群の中でも「もっとも濃く」「もっとも華麗でアバンギャルド」な表現が見られるユニットといえるでしょう。
アルバムの特徴・個性
『New York Hell Sonic Ballet』は、タイトルが示すとおり “都会的で退廃的な地獄の舞踏会” を思わせるような音像が広がります。本作ではジャズを中心にしつつ、クラシックからオペラ引用、ミニマル・ミュージック、現代音楽、ラテン、バレエ音楽的構造が混在し、1曲ごとに異なる世界観を形成しています。
また、菊地が得意とする「映画的構築」も際立ち、演奏そのものが演劇的であり、サウンドが映像的に情景を喚起します。官能とミステリアスさ、緊張と緩和、そして構築美と混沌が高度に結びついたアルバムです。
『New York Hell Sonic Ballet』全曲レビュー
1. Killing Time
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ジャンル:アヴァンギャルド・ジャズ、モダン・ビッグバンド
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特徴:開幕から緊張感に満ちたアンサンブルが炸裂する、アルバムの導入として完璧な一曲。ホーン隊が鋭く咆哮し、複雑なリズムセクションとともに都市の喧騒を描くかのようなサウンドを形作る。
2. New York Hell Sonic Ballet
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特徴:複雑なリズムとアンサンブルが有機的に絡み合い、優雅さと狂気が同居する。ラテンの要素を大胆に取り込みつつ、構築は完全に現代音楽的であり、菊地の美学がもっとも濃厚に詰まった楽曲。
3. When I Am Laid In Earth -Aria from The Opera “Dido and Aeneas”
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ジャンル:クラシック/オペラ再構築、室内楽的アレンジ
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特徴:ヘンリー・パーセルの名アリアを大胆に再解釈した楽曲。原曲の悲哀と静謐さを保ちながらも、極端に間を使い、緊張感のあるアンサンブルを重ねることで、現代的な官能性へと転化させている。ペペ・トルメント・アスカラールの持つ“異様な気品”をもっとも純粋な形で感じられる一曲。
4. Procession
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ジャンル:ミニマル・ジャズ、シアトリカル・タンゴ
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特徴:ブラスとパーカッションの役割分担が明確で、建築物のような構築美を感じさせる。映画のシーンを思い起こさせるほど視覚的な楽曲であり、本作の中でも特に映像性が強い。
5. Le Rita
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ジャンル:メランコリック・タンゴ
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特徴:バンドネオンとヴァイオリンが主導する旋律は、聴き手の感傷を深く刺激する。しかし、その優雅な美しさの裏には、別れや後悔といったタンゴ特有の「苦悩」が常に潜んでいる。
6. I Didn’t Know What Time It Was
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ジャンル:ジャズ・タンゴ/モダン・ジャズ
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特徴:ロジャース&ハートの名曲を大胆に再解釈した一曲。原曲のロマンティックさを残しつつ、和声とリズムを現代的に再構築することで、完全に別物のような新しい魅力を持つスタンダードへと生まれ変わっている。ブラスの息遣いとリズム隊のタイトさが絶妙なバランス。
7. 導引
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特徴:純粋なノイズや楽器のフリーキーな即興演奏によって構成され、それまでの楽曲で築き上げられたムードを一度破壊し、リスナーを混沌とした状態へと引き戻す。反復と緩やかな変化を織り交ぜながら、どこか儀式的で霊的な空気感が漂う。
8. Wutheting Heights
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ジャンル:ダーク・ワルツ/ゴシック
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特徴:Emily Bronteの小説『嵐が丘』を連想させる、ゴシックでダークな雰囲気を持つワルツ。3拍子の優雅なリズムを基調としながらも、サウンドは極めて陰鬱で、嵐の前の静けさのような緊張感が漂う。
9. Wait Until Dark
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ジャンル:フィルムノワール・ジャズ、アンサンブル・コンテンポラリー
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特徴:不穏な空気感と美しい旋律が同居し、フィルムノワール的なムードを漂わせる。ストリングスとホーンの溶け合う質感が美しく、最後まで聴き手を緊張と官能の世界へと誘う、圧巻のクローザー。
こんな人におすすめ!
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ジャズだけでなくアヴァンギャルドや現代音楽も好きな人
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タンゴをクラシックやジャズ、現代音楽の視点から解体・再構築した新しい音楽を探している人
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熱狂的なグルーヴと、死や退廃をテーマにした暗く耽美的な世界観を両立した作品が好きな人
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菊地成孔の知的で演劇的な音楽世界に惹かれる人
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ビッグバンドの豪華な響きと複雑な構築美を味わいたい人
同じ系統の楽曲・アルバム5選
- John Zorn『Naked City』
極端なジャンル横断性と映画的編集感覚を持つ作品。ハードコア、ジャズ、ノイズを瞬時に切り替える構造は、『New York Hell Sonic Ballet』の混沌性と響き合う。 - Michael Nyman『The Draughtsman’s Contract』
ミニマル構造とバロック的精神が結びついた名作。構築美・反復美・室内楽の緊張感が、本作のクラシカルな側面と通底する。 - Astor Piazzolla『Libertango』
タンゴの官能性とクラシック的構造を融合した作品。菊地作品の持つドラマティックで妖艶なラテン要素と響き合う。 - Maria Schneider Orchestra『Concert in the Garden』
現代ビッグバンドの最高峰のひとつであり、緻密なアレンジと鮮やかなオーケストレーションがペペのアンサンブルと近しい質感を持つ。 - Astor Piazzolla『Libertango』
モダンタンゴの創始者であるピアソラの代表作。タンゴが単なるダンス音楽から芸術音楽へと昇華した瞬間を捉えており、菊地成孔のルーツを探る上で欠かせない。
この記事で紹介したアルバム
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まとめ
『New York Hell Sonic Ballet』は、菊地成孔の美学とペペ・トルメント・アスカラールの表現力が最高潮に達したアルバムです。
圧倒的な演奏技術、演劇的な構成、菊地成孔の挑発的で知的な美学が融合したこの作品は、一度聴き始めるとその濃密な世界から抜け出すことができません。「エロスとタナトス」が華麗に踊り狂うこの「地獄のバレエ」は、音楽の持つ表現力の限界を知りたいと願うすべての音楽好きにとって、必聴の金字塔と言えるでしょう。
