出典:YouTube
1996年という年は、音楽史において極めて刺激的な時期でした。UKではブリットポップが全盛期を過ぎようとする一方で、クラブカルチャーから派生したジャングル(ドラムンベース)やトリップ・ホップが、アンダーグラウンドからメインストリームへと浸透し始めていました。
そんな中、かつて「ネオ・アコースティックの旗手」と呼ばれたEBTGが発表した『Walking Wounded』は、あまりにも鮮やかで必然的な変貌でした。本作に漂うのは、きらびやかな夜の街の喧騒から一歩退いた場所にある、静かな孤独と再生の物語です。
発売から四半世紀以上が経過した今なお、本作のビートは色褪せることなく、都会を生きる私たちの心に深く突き刺さります。
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アーティストについて
Everything But The Girlは、ボーカルのTracey Thornと、楽器・プロデュースを担うBen Wattによって1982年に結成されました。二人はHull大学の学生時代に出会い、公私にわたるパートナーとして歩みを共にしています。
80年代から90年代初頭にかけての彼らは、ボサノヴァ、ジャズ、フォーク、ソウルをブレンドした、洗練されたポップ・ミュージックで高い評価を得ていました。Tracey Thornの「砂を噛むような」と形容されることもある、低音の効いた唯一無二のスモーキーな歌声は、常にEBTGの核として君臨しています。
しかし、90年代半ば、Ben Wattがチャーグ・ストラウス症候群に倒れ、死の淵を彷徨うという過酷な経験をします。この生還劇を経て、二人は既存の枠組みに囚われない自由な表現へとシフト。ロンドンのドラムンベース・シーンに触発されたBen Wattが、打ち込みによる革新的なサウンドを構築し、Tracey Thornがそこに現代的な孤独を歌い上げることで、第2の黄金期を迎えました。
アルバムの特徴・個性
『Walking Wounded』の最大の特徴は、「冷たい電子音」と「体温を感じさせる歌声」の完璧なマリアージュにあります。
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ドラムンベースの導入
当時、粗削りなエネルギーに満ちていたドラムンベース(ジャングル)を、ここまで繊細で美しい「リスニング・ミュージック」へと昇華した手腕は驚異的です。細分化された高速ビートが、逆に切なさを加速させるというパラドックスを生んでいます。 -
トリップ・ホップの陰影
Massive Attackなどとも共鳴する、ダブの影響を感じさせるダークでスロウな質感。Tracey Thornの声が持つ陰影が、サンプリングやループの中でより一層深まっています。 -
都会のリアリズム
歌詞の面でも、恋愛の終わりや日常の倦怠、あるいは夜の街を漂う感覚など、華やかな成功よりも「心の傷(Wounded)」を抱えながら歩き続ける人々の姿をリアルに描写しています。
『Walking Wounded』全曲レビュー
1. Before Today
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ジャンル: プログレッシブ・ハウス/トリップ・ホップ
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特徴: 重厚なベースラインと執拗なまでのビートの反復が特徴。徐々に熱量を帯びていくハウスのリズムに、Tracey Thornの冷静なボーカルが重なり、リスナーを一気に「夜の都会」へと引き込む。
2. Wrong
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ジャンル: ハウス/ポップ
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特徴: 哀愁漂うギターのフレーズと、軽快ながらも骨太なハウスビートが同居している。思い通りにいかない関係を「Wrong(間違い)」と切り捨てる切ない歌詞が、踊れるビートと衝突し、強烈なカタルシスを生んでいる。
3. Single
4. The Heart Remains a Child
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特徴: デジタルなビートを抑え、幻想的な電子音の重なりの中で歌う内省的なバラード。どれだけ年齢を重ね、傷ついても、心の一部は子供のまま取り残されているという残酷な真実を、透明感あふれるサウンドで描き出している。
5. Walking Wounded
6. Flipside
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特徴: 流麗なキーボードの音色と、小刻みに跳ねるビートが融合した、ジャジーな趣きのあるドラムンベース。都会の喧騒の「裏側(Flipside)」を歩くような浮遊感があり、Ben Wattの緻密なサウンドデザイン能力が遺憾なく発揮されている。
7. Big Deal
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ジャンル: トリップ・ホップ/ダウンテンポ
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特徴: ダークな雰囲気が漂う、ダブの影響が色濃い一曲。抑揚を抑えたビートが、かえって聴き手の想像力を刺激する。
8. Mirrorball
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ジャンル: ドラムンベース/ポップ
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特徴: きらびやかなミラーボールが回るクラブの光景を、あえて冷めた視点から見つめるような楽曲。ダンスフロアで踊りながらも、心は別の場所にあるような、現代的な疎外感を見事に表現している。
9. Good Cop Bad Cop
10. Wrong (Todd Terry Remix)
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ジャンル: ハウス
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特徴: オリジナルの切なさを残しつつ、よりフロア向けに強化されたリミックス。Todd Terryらしいダイレクトなビートが、この曲の持つポピュラリティを最大限に引き出している。
11. Walking Wounded (Omni Trio Remix)
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ジャンル: インテリジェント・ドラムンベース
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特徴: Omni Trioによるリミックスは、より抽象的でエフォートレスな空間を作り出している。オリジナルの切迫感とは異なる、どこか祈りにも似た静謐なビートの重なりが、アルバムの最後を優しく深い余韻と共に締めくくっている。
こんな人におすすめ!
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都会の夜の空気感を愛し、孤独を美しく彩る音楽を探している人
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深夜に浸れるアルバムを求めている人
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ドラムンベースやトリップ・ホップを、美しさの観点から楽しみたい人
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メロディライン重視のオルタナティブポップが好きな人
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チルアウトと感情表現を両立した音楽が好きな人
同じ系統の楽曲・アルバム5選
1. Massive Attack『Protection』
トリップ・ホップの先駆者による2ndアルバム。表題曲「Protection」などでTracey Thornをゲストボーカルに迎えており、『Walking Wounded』へ至る直接的なインスピレーション源となった。
2. Portishead『Dummy』
ブリストル・サウンドの最高傑作の一つ。シネマティックでダークな質感が共通しているが、EBTGよりもさらに内省的でサスペンスフル。
3. Goldie『Timeless』
ドラムンベースを芸術の域まで高めた金字塔。激しいビートの中にソウルフルな女性ボーカルを配する手法は、EBTGがドラムンベースを取り入れる際の大きな指標となった。
4. Björk『Post』
アイスランドの歌姫がロンドンのクラブカルチャーに飛び込み、多彩なビートを自らの血肉としたアルバム。トリップ・ホップからインダストリアルまで、電子音をパーソナルな物語に昇華する姿勢は、Ben Wattの目指した方向性と共鳴している。
5. Beth Orton『Trailer Park』
フォークとエレクトロニカを融合させた「フォークトロニカ」の先駆け的な作品である。Tracey Thornにも通じるハスキーな歌声と、William Orbitらによる繊細なプログラミングの組み合わせは、本作のファンに強く推奨できる。
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まとめ
Everything But The Girlの『Walking Wounded』は、アーティストの魂が時代の先端と共振した稀有な瞬間を捉えた傑作です。
激しく刻まれるドラムンベースのビートは、傷ついてもなお止まらない心臓の鼓動のようであり、Tracey Thornの歌声は、その痛みさえも抱きしめるような慈愛に満ちています。このアルバムは、私たちが孤独を感じる夜、雨の降る街角、あるいは一人で帰る地下鉄の中で、最高の友となってくれるでしょう。
